保守研究所

なぜ「極右」は躍進しがちなのか

保守研代表のスルメです。任期があと三ヶ月に迫り、そろそろ進退について考えなければならないと思っております。

さて国政に目を向ければ「参政党」や「日本保守党」などの日本人ファーストなるものを掲げた政党が脚光を浴びている。世界に視野を広げれば、欧州では極右政党が躍進した。オーストラリア・フィンランドなどでは連立のキーを握り、オランダでは連立を主導する。

ドイツのための選択肢(AfD)は二月選挙で第二党に躍進しながらも、五月に極右過激派に認定された。なお同事案はトランプ米大統領に強い反発を示された。

少々立場を明確にしたいが、私は上記の党を極右と考えるのはあまり適切に捉えられていないと考える。もっと言葉の限りを尽くして説明するなら「排外主義のポピュリズム政党」である。

ここからは日本に話を戻す。

昨今、川口のクルドや中国人の土地購入問題などが急激に問題となった。そんな意識から日本人ファーストなるものが声高に叫ばれたものと理解している。しかしその意識は拡大し、税の投入や公的サービスまでも日本人優先にしろと歯止めが効かなくなっている(中国人奨学金問題というのが最もわかりやすいだろう)

国内に不満が蔓延すると、国外に敵を作り、ナショナリズムを高めて大和民族で対抗するべきという阿呆で安い愛国心に駆り立てられ、御涙頂戴政治芝居に心躍らされる。

さらに要件たりえるポピュリズムについても外国人排斥は含まれるが、なんと言っても財政である。根拠なき財源論に依拠した国債発行の減税。全く夢を語ればいいと言うものではない。

さて「なぜ「極右」は躍進しがちなのか」に答えるなら我々は欲求不満なのである。そして高潔な民族と国民意識から「使徒的使命」に駆り立てられる。日本のために外国人を排斥するならまだおかしな論理でも筋が通ろうが、そこにポピュリズムの減税を支持するのはちゃんちゃらおかしい。日本を守るどころが自分の生活も守れないのに現在で豊かになると盲信しているのである。

「今だけ金だけ自分だけ」と罵る極右は自分がその現実に陥っていることを気づかない。

排外主義が流行るなら保守研の代表選も排外主義とポピュリズムで戦う候補が出るかもしれない。