保守研究所

沖縄タイムスの記事における危険な差別観

今回は下記の記事について、信じがたい暴論が述べられていたのでそれに対する批判を述べていく。
危険な差別概念の悪用 「自衛隊員の人権」にすり替え 軍事組織への批判を封じ込める 大阪公立大准教授・明戸隆浩氏

 

 この記事では、自衛隊員に対して行われる口撃が「職業差別」だと批判を受けていることについて取り上げ、記事の中で大阪公立大学准教授の明戸隆浩氏が

差別の定義は人間の歴史の中で定まってきた。自分の意思で簡単に変えられない属性に基づく不合理な区別を言う。決議案にある「職業差別」は被差別部落に結びつけられてきた職業に対する差別などを指し、職業を自由選択した自衛隊員には当てはまらない。 (記事より引用)

と述べている。これは、世の中で起こっている多くの差別を正当化しかねない危険な論理である。この論理は要するに本人の自由意思によって変えられる属性、所属集団に対する排除は差別には当たらないということであるから、「〇〇オタクは入店禁止」、「〇〇学部志望の学生には奨学金を出さない」といった排除行為も差別には当たらなくなる。職業だけでなく趣味、学問など、私たちが人生において関わる多くの分野においても排除行為が正当化されるのである。

 何より恐ろしいのが、この論理が主流となってしまうと結果として私たちの自由が奪われてしまうことである。先ほど筆者は「〇〇オタクは入店禁止」、「〇〇学部志望の学生には奨学金を出さない」という二つの例を出したが、明戸氏が語る理論が正しい世界線であるならばそれぞれ「××店に入るならば〇〇オタクをやめなければならない」、「奨学金をもらうためには○○学部への進学をあきらめるしかない」という風に、特定の目的を達成するためには本来それとトレードオフな関係にないはずの自分の希望、属性、さらにはアイデンティティさえ放棄、変更することが強制される。憲法によって保障されているはずの自由な選択が実質的に阻害されているのである。

 さらに、このような排除行為が正当化される世界で最も強い集団、属性とは、あらゆる分野において例外なくマジョリティであろう。マジョリティによってマイノリティが排除され、排除を避けるためにマイノリティの人々はマジョリティに迎合するようになる。結果的に多様性のかけらもない、強力な同調圧力に締め付けられたある種の全体主義的社会が完成してしまう。リベラル派が一番嫌いそうな社会構造をなぜ作ろうとするのか、筆者にはわからない。

 明戸氏はマジョリティとマイノリティの関係やヘイトスピーチに関して研究なさっているのに、自身が自衛隊批判を正当化するために沖縄タイムスの記事で述べたことはマジョリティの絶対的優位性と差別を肯定しているのである。皮肉というべきだろうか、同じく学者を志している筆者としては、残念でならない出来事である。