皆がすなる「ぶろぐ」といふものを
受験生の私もやってみむとす。
ということで初めまして、だいふくです。
時というものはあっという間に過ぎ去るものであり、私は今まさに「大学受験」のための基礎能力を突貫工事している最中、つまるところの「受験生」という身分です。
「受験生は勉強してろ!」
「何やってるんですか?勉強してください!」
こういった意見を頂戴することは重々承知の上ですが、息抜きを兼ねて一本ブログを書いてみようかなと思います。
さて、昨今我が国では「少子高齢化」とそれに伴う大学入試制度の大幅改革、ひいては大学の統廃合の加速などが行われており、その少子化を揶揄する一つの言い方として「大学全入時代」という言葉が生まれるほどとなっております。
この言葉、言葉通りそのまま受け取ると
大学には絶対に入れる時代になった
というように取れますが、正しい言い方をするなら
大学を選ばなければ
とりあえずは大学に入れる時代になった
となっています。
それこそいい一例としては「私立大学の定員厳格化」がその一つに挙げられるでしょう。
今まで私立大学は、受験生の入学辞退を考慮した上で、定員より大幅に多い受験生に合格を出しておりました。
しかしながら、少子化に伴い本年度よりその制度設計を見直すことが文科省より指示されました。
つまり、従来より難関私大に入れる枠が少なくなるということです。
この現象は「大学全入時代」という言葉の真の意味を表している一例として素晴らしいほどのものですが、それこそが悲しき現実なのです。
このような時代を生きる現在、そして未来の受験生の多くが「多少は妥協してでもとりあえずは大学に入りたい」と思うでしょうが、それを叶えてしまうのがこの「大学全入時代」のよろしくない側面の一つだと私は考えます。
このブログをご覧になる多くの人が、おそらく受験戦争というものを一度は経験したことがあるでしょう。ご自身がなくとも、親族や友人が経験していることもあるでしょう。
その「先の時代の」受験生たちは死に物狂いで勉強して大学合格という狭き門を目指しました。
しかし今ではどうでしょうか。大卒資格というものは簡単に取れてしまう世の中になりました。受験生の中では「努力をさほどせずに」大学に入る人もいます。
その時代を生きる私の個人的意見として、
「敢えて難関大学を目指す」
ことが大切であると思います。
そりゃ人は楽をしたい生き物です。
努力量が少ない方を選びたがるのが本能と言っても過言ではないと思いますし、自分自身もその考え方をする癖がありますので否定はしません。
ですが、大学受験においては話が別です。
受験戦争を戦わずして大学に入る人と、死に物狂いで合格を掴み取るために努力した末に大学にいる人、どちらの方が人間として成長しているかと比べればそりゃあ忍耐を重ねた人の方が上になります。
敢えて茨の道を歩むことこそ人生をより良いものにするための糧になると私は信じています。
と、つらつらと書きましたが、もちろん私は現在進行形で受験生ですので、偉そうにべちゃくちゃ喋れる立場にございません。
ですが改めて言わせていただきたい。
こんな時代だからこそ
敢えて難関大学を目指してみよう!
(追記)
上に書いたものは全て筆者の主観であり、実際に受験生として偏差値がさして高くもない高校で生活する上で実感したことをつらつらと書いただけのものです。鵜呑みにしないようにお願いします。また、皆さんの理想の道を進めることを否定する意図はございませんので予めご了承ください。皆さんの進路の実現を切に願い、筆を置かせていただきます。