保守研究所

桜が咲く季節に感化される

蕾がほころび、蒼穹に微かに桃色を貼り付けている今日この頃、一年前に新天地に訪れた境遇を思い出さずにはいられない。

桜が咲く季節に感化され、自身の力を定め誤りて今年度の後半は苦労した。

しかし今となってはまた桜に心をとらわれて、また新たなことをしようとしている。

人間の性なのかもしれない。

 

分断が深まり、またそれを殊更に強調する時代の中で我々は本当の相互理解の尊さに心を砕きながらも他者との距離を僅かにでも近づけようと希求している。

近年、chatGPTやGeminiなどの生成AIや対話型AIが格段に能力を拡大しもはや現代人のツールであることは言うまでもない。彼らを使って自らの思考整理や知識吸収をすることを「壁打ち」と言うらしい。われわれはさらに他者とのコミュニケーションから遠ざかっている。

哲学者である和辻哲郎は人間を「間柄的存在」と定義した。人間を単なる孤立した個人(Individual)ではなく、他者や社会との「間(あいだ)」の関係性の中で生きる存在として捉える哲学概念らしい。

この考えは和辻だけのものではないだろう。人間をニンゲンではなく、ジンカンと読めば真理に辿り着くのである。

さて和辻は人間の存在を「間」に定義し、個人だけでは存在を定義できず、他者の存在を人間には必要不可欠であると明示的にした。

現代におけるその「間」の尺度は何cmなのか

わずか目と鼻の先、いや目とスマホの距離の20-30cmなのではないか?しかしそこには血の通った他者の存在ではなく、冷酷無比であるのにもかかわらずあなたに同意する物分かりのいい友人の面を被ったAIではないか。

我々はニンゲンなのか

少し上を向けば桜の枝が脈の如く広がり、雷鳴の如く視界を裂き、花が血を染めたように痛みを感じさせるが、ずっと上で碧空は繋がっている。